
昭和22年発行五万分の一地形図「勝木」より |
昭和22年発行の地形図上では、この頃の橋梁記号でもある垸工橋(かんこうきょう・石、煉瓦、コンクリート等で造られた橋)で描かれた明月橋が記載されている。 |
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府屋町より勝木峠を越え勝木村より勝木川を遡る國道十號(明治26年に開通した明治新道・県道三等鼠ヶ関線)は、中津原の村を過ぎ中村・大毎の開けた複合扇状地に出る場所で再度勝木川を跨ぐ。
ここに昭和九年に架橋されたのが明月橋である。当時の雰囲気を色濃く残す橋梁は、桁と橋脚とを結ぶ部分の意匠が特徴的である。
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直ぐ西側に、昭和41年の一級国道7号改良で新たに敷設された現在の一般国道7号(新)明月橋が架かる。
現役の幹線道路として40年以上も利用された現在の明月橋は、平成15年度に新たに改修がなされている。これは昭和9~41年が現役であった旧明月橋のほうが期間が短い。 |

町史p691 昭和40年頃の明月橋より |
一級国道7号改良時の写真には、明月橋の現役時を確認することが出来る。
出羽街道の間道の時代より、手前に広がる農地(水田)と山地との境に道が通されていたことを見ると、僅かな平坦地の続く流域にあって水利の便が良い場所が水田として利用され続けてきたことをも読み取れる資料である。 |
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親柱の意匠は凝ったものではないが、コンクリートによって石積みのような模様を作り出している点が特長であろうか。 |
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戦後、昭和30年代以降の橋梁で良く見かける鋼管の欄干。縦方向に五本入った意匠は、RC桁橋でありながら見える場所に鉄を使用していることが斬新であったのか。 |
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幅は2間半である。当時としては十分な幅員であっただろう。ここにも明治新道の規格がそのまま踏襲されている。 |
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親柱に残る「昭和九年五月竣功」の銘板は、コンクリートに直接書かれたもの。苔が付着するものの今も尚読み取れる。 |
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決して広い川幅を持つものではない勝木川。それでもこの地に沖積地を作り出し、出羽街道の間道として、また明治新道以降の主要幹線としての道を作り出す河川である。 |
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明月橋(勝木川)
旧國道十號・元一級国道7号
昭和九年竣功
勝木川沿いの街道が主要幹線となって久しい現在も、当時の歴史や重要性を今も語る旧橋である。 |
| 2008.09.06 |
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